
なぜ、商品先物取引が生まれたのかご存知ですか?商品先物取引の歴史から紹介します。
なぜ先物取引ができたのか

商品先物取引法上では、先物取引を次のように定義しています。
「将来一定の時期において『商品』及びその対価のい授受を約束する売買取引であって、当該売買の目的物となっている『商品』の転売または買戻しをしたときは差金の授受によって、以下の本質的属性を有するものを先物取引といっています。
商品先物取引は、商品を将来受渡することを約束する契約を締結するのであるが、1対1の相対取引ではなく、先物市場を通じておこなうものであり、そこには一定のルールがあり、参加者はそのルールを守らなければならない。
その代わり、契約の履行は原則として保証されている。また、受渡し期限がきたら、商品の現物を受渡ししてもよいが、期限到来以前に、商品の時価と契約価格との差金を支払ったり、受け取ることにより、契約を解除することがもできる。
さらに、代金の総額を支払うの商品の受渡しのときだけであり、それまでの間は、代金総額の一部を契約履行の保証金として拠出するだけでよい。
取引所で行う意味1.特定の場所で
2.特定の時間に
3.売買取引する人間が一同に介して
4.一定の商品について
5.価格・数量・受渡し時期を取り決める
6.取り扱われる商品の品質は規格化され
7.取引のルールが標準化され、
8.取引を監視する職員が配置され、
9.取引所を通じて行った取引の契約履行・決済は原則として保証され、
10.取引所で取引された価格等取引の内容は、公表される。
シカゴの穀物取引所の成り立ち

19世紀、米国中西部の開拓地帯で生産された穀物は、五大湖の最南端に位置するシカゴを中継拠点として取引されていました。シカゴは1837年、人口4,107人の町に発展しました。 当時は、需要と供給の不均衡は当たり前でした。穀物は、買い手が不足して路上に捨てられるという光景がしばしばみられました。
年によっては、収穫量が極端におちて、品薄になることもありました。また、一年の中でも、収穫時期には供給過剰となるが、端境期には供給が足りなくなることもありました。供給不足のときは価格が上昇し、食料不足で苦しむ人が出るほどで、商売に必要な原料を確保できずに破産するメーカーもありました。農家では、農作業の道具や資材、繊維などを購入するための収入にも困る家がありました。
輸送の障害は、大きな問題でした。農業地帯からシカゴへの砂利道は、雪や雨で通行困難なときの法が年間を通じて多く。馬車で都市まで穀物を運ぶ費用は、収穫までの生産費用とほぼ同じといった状況でした。
商品が都市に到着しても、貯蔵設備の問題がありました。港湾設備はまだ完備されておらず、穀物を、東部の市場に船舶で輸送することがでいないばかりか、東部の市場から中西部に必要な物資を購入してくることもできませんでした。
当時は、需要と供給のアンバランスが大きくて、価格は絶えず激しく変動していました。
「先渡契約」の発達

「先渡契約」は、河川を利用して商売していた人々から始まりました。中部の河川沿いに穀物倉庫を持つ商人は、晩秋から初冬にかけて、農家あらトウモロコシを受け取る。その冬の間、これを倉庫に貯蔵しておきます。トウモロコシの含有水分が一定以下に下がるのを待ち、河川や運河氷が解けるのを待つのです。
そこで、冬の間の価格変動リスクの軽減を図るために、春にトウモロコシを受け渡す内容の契約を、シカゴの加工工場との間で結ぶようになりました。こうすることで、商人は売買価格を確定できるようになりました。
穀物取引が盛んになったのは1848年、シカゴのある小麦粉の貯蔵所の2階に、82人の商人が集まり、シカゴ・ボート・オブ・トレード(CBT)を設立しました。その目的は、市の商業の発展・推進と、売買取引に関与する者が一同に会して商品を取引する施設の開設にありました。取引所開設当時は「先渡契約」がもっぱらでした。
しかし、この契約形態には、欠陥がありました。取引商品の品質や受渡し時期について、契約内容が標準化されておらず、また、商人やトレーダーが「先渡契約」に基づく義務をしばしば果たさなかった為でした。
取引の標準化による「先物取引」の成立

業者や農家の間で、契約の履行をめぐってしばしば争いがおこりました。
こうした争いを防ぐために、CBTは、1865年、穀物取引を標準化しました。その結果、「先物取引」が生まれました。
「先渡取引」と「先物取引」の違いは、「先渡取引」1対1の相対取引で、その契約内容は相互に自由に取り決められる代わりに、契約の履行についてはお互いの信用の上に成り立つ取引である一方、「先物取引」は取引がルール化され、品質や量、受渡し時期と場所が標準化されていることです。
契約内容が整備されると同時に、買い手、あるいは売り手の契約不履行防止策として、証拠金制度が導入されました。この制度により、トレーダーがには契約履行を保証する意味で、取引所、あるいは取引所の関連機関に、一定の資金を預けることが義務づけられました。 その後、穀物の容量測定がより正確な方法に変わり、重量検査も行われるようになりました。取引に関わる様々な行為も、追加的に標準化されました。契約内容も洗練され、取引規則の制定や、生産及び帳入れの方法も確立されました。
市場にスペキュレーター(投機家)が出現するようになると、取引の有効性はさらに高まりました。弁護士や医者など、穀物取引とは無関係のい人々が値動きに興味を抱き、投機的に先物市場に参加し、売買を通じて利益を狙う。投機家が売買を繰り返すことにより、それまで成立しなかったような取引も約定するようになりました。すなわち、投機家の出現で市場の流動性が増し、価格変動も小さく抑えされるようになりました。
1900年代の卵、コーヒー、カカオなど、より多くの商品が取引されるようになりました。米国が農業中心の経済から移行するにつれて、先物取引の出来高や多様性が増しました。従来の農業生産物の先物に加え、貴金属や工業生産物・加工品。さらに、貯蔵できないような商品までもが、先物取引の対象となりました。
米国で先物取引のい法律が最初に作られたのは、1936年の商品取引法です。その後、先物市場をまさに劇的に成長させ、輝かしい発展につなぐ1つの動きが起こりました。 それが、金融先物の登場です。
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