
金融先物市場の成立

1970年からの10年間、世界の金融業界はすさまじい変化を遂げました。
第二次世界大戦後に、戦勝国の指導者が築いた金融の相対的な安定は、為替相場や金利の変動、さらに、経済の先行き不安と相まって、劇的変容を迫られることになりました。1970年代まで、比較的コントロールされていた金融リスクが増大してきたからです。
その代表的なものが為替です。1944年のブレトン・ウッズ会議における連合国指導者間の合意を基に、関税及び貿易の関する一般協定(GATT)、国際通貨基金(IMF)、世界銀行が誕生し、さらに、ブレトン・ウッズ体制による通貨の固定相場制は、国によって異なる成長率やインフレ率を想定していなかった。そのため、劇的に変容する国際社会に対応し、その秩序を保ち続けるには無理が生じるようになりました。
1971年のスミソニアン協定では、ドルの切り下げと、他の主要通貨の再評価がなされました。
為替及び金利の変動は、商品取引に、そして、世界経済のあらゆる局面に影響を与えました。さらに、1973年のアラブ・イスラエル間の戦争に続き、OPECによる石油の輸出禁止が石油の高騰を産み、米国内での石油製品の極端な不足という事態を招きました。インフレ圧力の高まりは1970年代を通じて続きました。このため、企業にとって、金融リスクの管理は経営上の最重要課題となりました。金融の世界は、もはや政府が為替や金利をコントロールし、リスクが最低限に保たれているような安定した世界ではなくなりました。
シカゴボートオブトレード(CBOT)では、金利リスクを上手く制御する方法、シカゴマ−カンタイル取引所(CME)では、為替リスクの問題にそれぞれ取り組んでいました。
商品先物取引はなぜ必要か
このようにして生まれた商品先物取引は、社会的義務が3つあります。
1936年、米国で最初に作られた商品先物取引に関する法律に、明確に書かれています。
「商品取引所で売買され、商品の将来の受渡しをないようとする取引で、『先物』として知られている取引は、国民全体の利益に影響を及ぼすものとしての商品、生産物、その副産物の売買に関与する人々によって、大国国内及び諸外国にも発信されていく。そうした価格情報は商品、生産物、副産物の生産者価格や消費者価格の決定過程において指標となり、また商業の従事する運送業者、仲買業者、製粉業者そして商品、生産物、副産物の売買に従事するその他の人々が、価格変動に基づき生じ得る損失をヘッジする目的で利用している」
この米国最初の先物に関する法律では、商品先物取引の社会的存在意義として、要約すると次の2つをあげている。
1.公正な価格の形成機能 2.リスクヘッジ機能そして、この条文にはないが、もう一つの重要な側面として
3.資金運用手段以上が商品先物取引の主な社会的存在意義です。
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